熊野パワースポットの旅
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熊野は、三重県、奈良県、和歌山県にまたがる紀伊半島中南部の広大な山岳地域です。 ここでは、この地域にある、おすすめのパワースポット「玉置神社」と「熊野三山」などをご紹介します。 |
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最初に立ち寄ったのは、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の1つ、「瀧原宮」(三重県度会郡大紀町滝原)。 ここは、私の超おすすめのパワースポットです。 瀧原宮はいつ行っても、素晴らしい「氣」に満ちていて、私たちを裏切りません。 名古屋を朝5:30に出発し、7:30頃に到着したのですが、やはり早朝の境内の氣はすがすがしく、今までお参りした中でも一番でした。 鳥居をくぐって巨木の参道を歩くにつれて、深いエネルギー空間の中に入っていく感じがします。 伊勢内宮と同じように、川で手を洗う「御手洗場」があります。参道の途中から降りていくと、宮川に通じる大内山川の支流があり、ここも濃密な「氣」に包まれていました。 川の中央に、紫色にぼうっと煙る「氣」が浮かんでいるような写真が撮れました。(上) 同時に撮った写真は中央部もくっきり写っていて、不思議なことに、このように撮れたのは1枚だけです。 社殿の前はさらに素晴らしく、朝陽に照らされた社殿や木の燈籠の上からはモヤモヤと湯気(?)が立ち上っていて、まさに神域を想わせる幻想的な光景でした。(下の2枚) ※瀧原宮については、こちらにもう少し詳しく紹介したページがありますので、ご覧ください。 |
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玉置神社に行く途中、国道168号線沿いに「十二滝」という大きな滝がありました。 落差が100m近くもあるという、立派な滝です。 滝は、水が一気に落ちるところで、物理的なエネルギーも大きいのですが、ス ピリチュアル的に見ても、非常にエネルギーにあふれた場所です。 熊野三山の1つ、那智大社の近くにある「那智の滝」もそうですが、滝がある 所にはたいてい神社が祀られています。 しばらくの間、真上から落ちてくる「打たせ湯」のような十二滝の水のパワーをいただいた後、私たちはいよいよ熊野の最初のパワースポット、玉置神社へと車を進めました。 |
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玉置神社は、位置的には熊野三山の本宮大社に比較的近いのですが、紀伊山地の山中、玉置山(1076m)を登った頂上近くにある、とんでもない山奥に鎮座する神社です。 せまい山道を長い間登り続け、「こんな所に本当に神社があるの?」と心配になってきた頃、やっと目的地に到着しました。 そこには、それまで登ってきた道路からは考えられないほどの大駐車場がありました。 そして、駐車場の突き当たりには、これまた大きな鳥居があり、その奥に参道が伸びていました。 でも、ここから神社までは、さらに山間の道を15分くらい歩いていかなければなりません。 大鳥居をくぐって山の中の道を歩くこと約20分、しだいに神域の深い「氣」の空間に身が吸い込まれていくように感じていると、やがて石段があり、そこを昇っていくと、やっと玉置神社の本殿に到着しました。 この神社の創建の由緒は、磐余彦(イワレヒコ: 即位前の神武天皇)が三本足の八咫烏(やたがらす)の案内で、熊野から吉野に向かう途中、十種の神宝を納め、武運を祈った所とされていて、玉(十種のうち4つが玉です)を置いたことから、「玉置神社」というのが名前の由来のようです。
この山奥にある本殿も、世界を創造した根源神の「国常立尊」(クニノトコタチノミコト)を主祭神とした神社だけに、いかにも時空を超越した風格を漂わせています。 中をのぞき込んだ私は、掲げられている鏡がなぜか気になりました。 裏手に回ると、「夫婦杉」「神代杉」などと名づけられた杉の巨木が林立していて、ここは濃密な自然の「氣」に包まれていました。 幹に近づくと、とても温かい放射が感じられて、自分が木のエネルギーに包まれ、ホッとするような優しさを感じて、しばらくじっとしていたい気分になってきます。
玉置神社の本殿と神代杉などの巨木の荘厳な氣に圧倒されたあと、本殿から奥へ急な山道をしばらく登っていくと、一帯の波動がさらに濃密さを増してくるような感じがしてきました。 すると、そこには木々の繁る間の狭い空間に、柵で囲まれた一画があり、入口には「玉石社」と書かれていました。中をのぞいてみても、小さなお社も建っていません。 不審に思っていると、中央部の地面に坊主頭のような丸い石が見えました。連れて行ったくれた仲間の話では、地中に大きな石が埋められていて、頭だけ出しているらしいのです。 お社もなく、石が埋められている…。この石がご祭神に関わりがあることは間違いありません。 「玉置」と「玉石」という名前から、一説には、前のメルマガで書いたもう1つの天孫降臨の主役ニギハヤヒが伝えた「十種の神宝」がここに埋められているという話もあります。
この玉石社のご祭神は大巳貴命(=出雲大社のご祭神の大国主命)なのですが、ニニギの天孫降臨のとき、地上の神々の総大将だった出雲の大国主命がこんなところに分祀されていることや、ニギハヤヒとの関係を考えると、ここは神武天皇の時代にも、天の神と地の神の戦いがあり、ここはその舞台となった、並々ならぬ由緒のある場所ではないかという気がしてきました。 ひょっとして、大和を守っていた大巳貴命をここに封じ込めたのかも…といった想像もわいてきます。 それを感じさせるように、玉石社の一帯は、玉置神社の境内でもひときわ波動の強い、独特の空間でした。 実は、ここが玉置神社の本当の中心なのかもしれません。 掲載した玉石社の写真の奥の方にも、この石が写っています。 もっとはっきり写った写真も何枚かあるのですが、恐れ多くて掲載することができませんでした。 |
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次に、熊野三山の中心であり、全国の熊野神社の総本社である「熊野本宮大社」に向かいました。 ここは、玉置山を下りて、国道168号線を新宮に向かう途中にある、熊野川沿いのちょっと開けた場所にあります。 この地域には、日本最古と言われる湯の峰温泉や、川原を自分で掘って湯船が作れる川湯温泉、十津川温泉など、昔ながらの温泉が何か所も点在していて、立ち寄って入れる共同浴場もあります。また、長さ約300mもあるスリル満点の谷瀬のつり橋など、見所もたくさんありますから、1泊してゆっくり回るといいでしょう。 さて、熊野本宮大社はかつて熊野川の中洲に建てられていたのですが、明治22年の大洪水で社殿が流されてしまい、現在は山中に移転しています。
最初にここを訪れて目につくのは、ユニークな三本足の「八咫烏」(やたがらす)でしょう。熊野本宮大社の鳥居の横に掲げられた大きな幟(のぼり)をはじめ、境内のあちこちに描かれていて、これが本宮のマスコットキャラクターになっています。 このカラスが神の使者として、神武天皇が大和に進む道案内をしたという由緒だけでなく、太陽の化身とも考えられていることが、大切にされている理由のようです。 ちなみに、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっています。
奥に進み、神門をくぐると、広い境内に大きな社殿が四つ並んでいました。深い木々を背景に、静かにたたずむぶさまは、まさに荘厳です。 ここに、主祭神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=スサノオと同じ神)をはじめ、六柱の神が祀られています。そのうち三柱は他の二つの大社と同じで、それぞれの主祭神が共通して祀られています。
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次は熊野三山の1つ、「熊野速玉大社」です。 ここは和歌山県新宮市にあり、まさに市のシンボル、中心的な場所となっていて、位置も海に近い市街地の中にあります。 「新宮」といっても、本宮大社より後にできたから付いた名前ではなく、以前は近くの神倉山という所に元宮があり、現在地に移転したので「新宮」と呼ばれるようになりました。 ここは熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)をご祭神としていますが、熊野速玉大神とはイザナギ、熊野夫須美大神はイザナミとされ、また神仏習合の修験道の信仰からは、それぞれ薬師如来、千手観音菩薩と同じとされて、病気平癒やさまざまなご利益を求める多くの参拝者を集めています。
着いたのが午後の遅めだったこともあり、人が少なく、静かで清浄な雰囲気ではあったのですが、私にはパワースポットの強い「氣」の感覚は、このときは感じられませんでした。 神社によって、「天の氣」は降りてきたり、なかったりと、気まぐれなことがありますので、この日はたまたま降りていなかったのか、私との相性が良くなかったのかもしれません。
でも、自然の「地の氣」はいつも温かな波動を放出してくれていて、国の天然記念物に指定されている樹齢千年と言われる梛(なぎ)の大樹は、さすがにパワーを感じさせてくれました。 |
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次は、熊野三山の最後の1つ、「熊野那智大社」です。 最初に訪れたのは、有名な「那智の滝」の下にある「飛瀧神社」(ひろうじんじゃ)。 ここは那智大社の別宮ですが、名前を聞いただけでも、ほとばしる水のエネルギーを感じます。
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ここは滝が御神体ですから、本殿も拝殿もなく、滝の下に近づいて、はるか上から落ちてくる巨大な滝を仰ぎ見ながら手を合わせるといったお参りのしかたになりますが、間近で見ていると、ただただ大自然のパワーに圧倒されます。 「ここに神様がいないわけがない」そう感じざるを得ない、荘厳に満ちた迫力。 時おり飛んでくる滝の飛沫を浴びながら、私たち人間の小ささや、自然を平然と破壊する不遜さを思い知らされました。 ご祭神は国津神(地上の神。これに対して、高天原に住んでいたのが天照大神を頂点とする天津神)の総大将、大己貴神(おおなむちのかみ=大国主命)で、古代に高さ48mの巨大な神殿を造営した出雲大社のご祭神であるだけに、やはり大きなものがお好きなようです。 この神社の神職は、毎年、落差133mの滝の上で、命綱もなしで注連縄(しめなわ)を張るのですが、ニュースの映像を見ている私たちの方が怖いくらいです。
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次に向かった「熊野那智大社」は、旅行ガイドやツアー広告でよく見かけるので、知っている方も多いと思いますが、西国第一番札所の青岸渡寺と隣り合わせになっていて、この青岸渡寺と後方に落ちる那智の滝のマッチングは、まさに絵ハガキそのもの。 しばし、その美しさに見とれてから、那智大社の境内に入ったのですが、全体に山の「氣」が漂っているようで、パワフルなものを感じました。
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中でも、境内にある大木がとても強くて温かいエネルギーを発しているので、気になって見ていたら、根元に大きなうろ(空洞)があり、中を抜けられるようになっていました。 うろの中は、暗くて少し湿り気があり、母親の胎内のようなホンワカとした氣に包まれています。これがこの神社の主では?と思えるほど、エネルギーに満ちていて、落ち着ける場所でした。
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熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社と、「熊野三山」をめぐってきて、どの神社にもそれぞれ良い「氣」に満ちているのがわかりましたが、実は私が熊野を訪れて一番エネルギーを強く感じたのは、それ以外の場所でした。 それは、熊野本宮大社に向かう国道を走っている途中にありました。 少し開けた所に巨大な鳥居が立っているのを目にした私は、とても気になって、本宮大社にお参りした時に調べてみました。 すると、そこは「大斎原」(おおゆのはら)と言い、かつて本宮大社が建っていた場所で、明治22年の熊野川の大洪水により、多くの社殿が流されてしまったために、現在の高台に新しい社地を移したということがわかりました。 興味がわいた私は、本宮に参拝した後で寄ってみました。 大鳥居は高さが約34mある日本一高い鳥居で、ここにも熊野の象徴「八咫烏」(やたがらす)がいました。金色に輝く体で、この地域を見下ろしているかのようです。
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さて、大鳥居の隣に木々に囲まれた一角があり、そこが旧社地です。近づくにつれて、手の先がビリビリしてきました。(ここはすごい場所だ…)という感覚がどんどん強まっていきます。 さすがに千数百年も続いてきた「熊野詣で」の中心、聖地だった所です。しかし、社殿を移築してしまった跡地なのに、なぜこんなにエネルギーが強いのかという疑問もわいてきます。 その理由の1つは、かつての熊野川の中洲にあった旧社地を描いた図を見てわかりました。 周囲を山に取り囲まれ、ゆるやかに川が蛇行し、平原の中心にある…。 日本の大龍脈、中央構造線から紀伊山地に分岐した「氣」の流れがここに「穴」(けつ。氣が地上に噴出している地点)を結んでいるようです。 風水からみても、まさに理想的な場所。というより、風水によってこの地を選んだのかもしれません。
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熊野本宮大社の元宮「大斎原」(おおゆのはら)は、本宮が移ってしまって、社殿もないのに、とても強いエネルギーに満ちていたもう1つの理由は、敷地の中央部に行ってわかりました。 そこは、周囲を低い石垣で囲まれ、中心部にはひっとりと小さな祠(ほこら)が建っていましたが、そこからは、とてつもなく強いエネルギーが放射されていました。 実は、水害により、それまで祀られていたご祭神の全部が移ったのではなかったのです。
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大斎原には、かつて上四社、中四社、下四社の計十二の社殿があり、水害以後に移転したのは上四社(六神)のみで、残りの八社(八神)は引き続き大斎原に祀られています。 社殿の創建でさえ、紀元前と言われていますから、明治24年の遷宮は二千年以上もの長い熊野本宮の歴史の中でも、ほんの最近のことなのです。 その中には、天照大神の子のアメノオシホミミノミコトや、その子ニニギノミコトといった歴史上重要な神様もいます。 なぜ全部の神様を移せなかったかはわかりませんが、そこには大きな理由があったはずです。 その残された神々が、今も引き続き神威を発揮して、熊野の地全体を守っていてくださっているという感覚をひしひしと感じながら、私は大斎原を後にして帰路につきました。 |